後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

不足の証明

 今日は久しぶりに、部屋の片づけを再開した。

 しかし、わたしのやろうとしていることは本当に「片づけ」なのか何なのか、実は最近自信がなくなってきた。具体的には、「余らせて収納ケースに眠らせたままのノート類の用途を決めたい」ために、机やベッドの上にひろげて、ああでもないこうでもないと考え込むことを、わたしが個人的に「片づけ」と呼んでいるだけなのではないかという気がしてきた。

 他にも片づけたり整理したいものはあるのだが、まずはノートなのである。

 なぜノートなのか。考えてみると、おそらくわたしは、情報整理を集約したいのだ。そのためのシステムを作りたいのだ。

 今まで物が片づかないと散々悩んできたのは、片づけの過程が自覚できておらず、自覚できていないのは可視化されていないせいだと思ってきた。だから片づけのたびに、思考を整理するため、ゴチャゴチャになったもののリストを作るために、メモやレポート用紙に色々と書き出してはきたのだが、今度はそのメモが片づかなくなってきた。だから先に、「片づけのためのメモ」を整理するという片づけをしないと、他の物の片づけをする気になれないのである。

 …………。自分で書いてて、なんだこいつ頭おかしいんじゃねーのか、と思えてきた。落ち込む。

 しかしわたしは真剣だ。真剣なのが悲しい。他に上手い方法を思いつかない。

 そして今日もノートを並べて、ああしようか、どうしようかと悩みつづけ、しかし結論が出なくストレスが溜まりはじめたので、散歩がてらダイソーに逃避することにした。

 ダイソーで収納用品でも眺めれば、それに刺激されてアイデアが浮かぶかもしれないし、体を動かして、視界に入る情報量を変化させれば気分転換にもなる。昨日の反省を生かし、今日は断固として菓子は買わないと決意し、外に出た。

 寒い。

 わかってはいたが、寒かった。しかしその空気の冷たさも、暖房で火照ってぼけた頭にはいい刺激だろうと捉えることにする。道にあまり人気もないので、わたしは軽く走ってみた。急いでいたわけではないが、その方が体も温まるし、運動効果もあるかなと思ったからだ。

 しかし、すぐに息が切れた。自分でもショックなくらい、ちょっと走っただけで息が切れた。あれ、こんなんだったかな? とうっすらとした危機感が湧いた。以前よりも運動はしているつもりだったけど、やはり圧倒的に足りてなかったんだな、とわたし自身の体が証明していた。

 しばらく歩いて、もう一度走ってみる。やばい。なんか、体重が足首に響く。足が体を支えている感じがせず、頼りない。体が重く感じる。そしてすぐに息が切れるというか、心臓に負担がくるのがわかる。

 あー、これは……これは……運動不足ですね。

 わたしは認める。何が運動習慣だ。思い上がっていた。室内でちょこちょこ体を動かして汗をかいたくらいでは、この衰えは誤魔化せていなかった。こんな状態で間食をしていれば、そりゃ体重に追加されるわ。反省した。反省する。でもジョギングまではやりたくない。

 そんなモヤモヤしたやるせない気持ちでダイソーにたどり着き、とりあえず二百円の折りたたみコンテナを買って、未使用ノートを並べた。見やすくなった。