後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

ア、アウトライナー……

 いつも思考がごちゃごちゃしていてまとまらない。そんな悩みを何年も拗らせている自分は、アナログに関してもデジタルに関しても「はー、なんか上手い情報整理方法はないかなー」と夢見ている。

 「何十年も」ではなく「何年も」と書いたのは、自分が頭ごちゃごちゃして情報整理のできない人間だと自覚を持ったのが、ここ十年以内のことだからである。その数年前はなんか精神的に死んでて記憶もおぼろげだし、それ以前の健康だったときは、まだ自分をそこそこまともだと思っていた。

 根本的に地道に自分の能力を底上げしていくという方法を教わらず学ばずに生きてきたので、中年になってようやく「あー、こういうことは積み重ねで会得し習熟していくものだったんだね……」と、色々情報を集めながら絶望している。

 そんな中で目を付けたのが、アウトライナーというやつである。

 目を付けてから既に数年経っているが、これも今のところ、もちろん活用はできていない。一太郎にアウトライン機能があると知って買ってみても、操作方法を覚える気力がなくまともに使えていないが、まあATOKは無駄にならないからいっか、みたいな感じで反省もしていない。フリーソフトに手を出しても、機能が微妙に痒いところに届かないので、やはり使いこなせないまま放置する。

 なんかないかなー、ないのかなー、と時々気が向くと検索はしているので、その存在だけは一応知っていた、WorkFlowyとDynalistというやつに、とうとう手を出してみたのだった。

 知っていても今まで手を出していなかったのは、日本語対応していないからというシンプルな理由である。英語、わからんし怖い。

 だいたい便利ツールというものは直感的に使いたいものだが、直感的に使えるようになるまでの学習と習熟には、時間や強い動機付けが必要なのだ。慣れればなんてことのないシンプルな動作であっても、その基本原理が体に馴染まない限りは「右足を出したら、次に左足を前に出します」という解説すら理解はできない。ちょっとした心配や不安にパニックになりやすい自分は、ある程度気力が安定し覚悟が決まらないと、日本語対応していないツールなんてものに手を出す気にはなれなかった。

 で、実際に使ってみて、わりと「お、これはいいな」と感触は良かったのである。最初は分類もジャンルも何も考えず、思いついたままに書き出して、後からまとめたり並べ替えたり整理できるし、ズームとかいう機能で、見たいトピックのみを表示することもできるし、折りたたんだり開いたりもできる。

 目の中にゴチャゴチャと情報量が溜まってくると、どうしてもその分類整理が気になって気になってしょうがない、という自分にとっては、「情報は常にそこに並んでいるが、そのときの気分や興味の変化で、可視化したり不可視化したりが気軽にできる」というのが安心できる。

 これがフォルダやファイル、物理的なメモでの管理になると、その溜まってきた情報の分類や優先度、アクセスのしやすさ見やすさ、みたいなことで脳みその狭いワーキングメモリが悲鳴をあげるわけである。

 だがしかし、やはり現実はそんなに甘くはなかった。

 出てこない。整理したい情報、まとめたい情報は色々あるにもかかわらず、やはりわたしは空白のアウトラインを前にして、「思いつくままにアウトプットする」ということができない。何かが詰まったように、吐き出せない。

 自由を目の前にして、その果てしなさに呆然とする虜囚のようだ。まず最初に、右足を出せば良いのか、左足を出せば良いのかと悩むかのような不毛さだ。この自分でも意味のわからない忌避感は、何が原因なのだろう。

 そんなわけで、またわたしの思考は明後日の方向へ滑りはじめ、もうちょっと覚悟と勇気を獲得しないとアウトライナーは使いこなせないのだろうかと悩みはじめている。