後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

飯選びの思考回路

 冷凍庫にしまってある、チンするだけの飯が尽きつつある。尽きていた場合、何を食べればいいだろうか。残飯があれば、それを適当な具材と炒めて食べる。無ければ、スパゲティーを茹でて、適当な具材と和えて食べる。自炊する場合、その二つのパターンしか思い浮かばない。

 買いに行くことも考える。しかし、金がかかる。天候によっては、移動に制限もあるだろう。コンビニか、パン屋か、スーパーか。移動距離で考えれば、コンビニ>パン屋=スーパー、といったところか。値段と満足感で考えると、パン屋>スーパー>コンビニ、となる。

 コンビニは近くていいが、行ってもそれほど「これだ」という飯には出会えない。もう正直に言ってしまうと、セブンイレブンが近くにあればよかったのだ。だが、最寄りのコンビニはローソンであり、その次に近いのはファミリーマートだ。セブンイレブンもあるにはあるが、移動距離はパン屋とさほど変わらない。というか、パン屋のちょっと手前にある。個人的に、飯が美味いコンビニはセブン>ファミマ>ローソン、だと思っているので、かつて近所にあったセブンイレブンが閉店してしまったのは、今でも惜しいと感じている。

 スーパーという選択肢はどうか。悪くはない。コンビニよりは遠いが、選択の幅が広く、値段もそこそこだ。しかし、選択の幅が広いということは、判断や決断の力が必要されるということで、ここで時間と気力をおおいに消耗する可能性が高い。移動時間がかる上に、コンビニよりも更に迷い、余計なものを買ってしまう可能性が跳ね上がる。

 パン屋。天候が悪くなければ、それもいい。しかし、ここばかりに頼っているわけにもいかない。パン屋には、当然のごとくパンしかない。つまり、そのときになってパンを食べたいという気分にならなかったら、わざわざパン屋へ行こうという気にはならないのだ。

 ならば、外食はどうだということになる。一番のネックは、割高感だ。高い、浪費だ、またやってしまったと、あとでレシートを見て表に打ち込みながら自己嫌悪に陥ることになる。ここでの選択肢としては、サイゼリヤマクドナルド、ガスト、あたりから選ぶことになりがちだが、もう少し範囲を広げると、コメダ珈琲店、星乃珈琲店、ドトールスターバックス、あたりも入ってくる。しかし、カフェ系はわざわざ飯を食いに行く場所ではなし、ちと遠い。

 そこまでぐるっと考え、何かそこら辺に行く用事でもあっただろうかと考えはじめ、ならばいっそもっと遠くにでかけてみては? などと自棄気味に逃避的な衝動が高まる。ああ、いけない。またいつものパターンだなと反省し、その衝動を堪える。

 そもそも、わたしの一食の判断など、それほど重大なことか? バランスがそこそことれて、空腹が満たされればそれで良いはずなのに。いや、バランスがとれて食べる気になるような食事を毎日とるということ自体が、とても疲れるし大変なことではないのか。

 思考は空転し、精神的な疲労が積み重なってくると、わたしはようやく諦めの気持ちでキッチンへと向かい、残飯炒めかスパゲティーで妥協するのである。