後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

辛さを避けたい

 本日も絶好調に暑いので、体力的には絶不調である。

 しかも、ずっと同じ姿勢で作業をしていたせいなのか、背中が微妙に痛い。ほぐそうとして体を捻ったり、負荷をかけてみたら、ますます痛くなったので後悔した。

 一体、何をどうするのが正解だったというのだろう。医者でもないわたしにはわからない。そもそも、何が原因なのか、どうして痛いのか因果関係もよくわからないし。

 そんな感じである。あきらめて、わたしはおとなしくすることにした。

 昼飯はパンだった。家族が買ってきたパンをもしゃもしゃと食べたのであるが、何種類かあるうちの一つを、「サルサソースのパンだったか、タコス風パンだったか、店に二種類あったうちの一つだが、どちらだったかは忘れた」と説明され、わたしは食べる候補から外した。サルサとかタコスとかいう響きが、なんか辛そうだったからだ。

 この前、スパイシーチキンとかいうやつを選んで後悔したことだし、もう同じ失敗はしたくなかった。

 すると、その後「ところで、サルサのパンとタコスのパンって何が違うの?」という話題が出た。「え? サルサはソース名で、タコスは料理名なのでは?」と思ったが、実はわたしも詳しくない。

 想像ではあるが、「タコス風のパン(サルサソースを使用しているかどうかは分からないが、使用している可能性は高い)」と、「タコス風ではないが、サルサソースを用いたパン」と、二種類あったということではなかろうかと考える。

 調べてみると、市販のサルサソースには材料として、ハラペーニョが入っていた。ハラペーニョは唐辛子の一種なので、やはりなるべく辛味を避けたい自分が選ばないのは、正解だったらしい。よかった。

 そんなわけで、わたしは無事に明太ポテトのパンと、ミックスサンドイッチの幾つかを食したのだった。

 なのになぜか、夕食はカレーであった。暑い日はなるべく辛いものを食べたくない、というわたしの想いは届かなかった。仕方がないので、量を減らした。べつにカレーが嫌いなわけでも悪いわけでもないのだ。ただ、今日のような蒸し暑い日、冷房をつけていてもきつい日に、あまり元気よくカレーを食べられる気がしないというだけで。

 世の中には、暑い日にこそ熱いもの、辛いものを食べたいという人もいるようだが、わたしはそんな勢いのいい胃腸は有してないので、やっぱり熱い日はさっぱりしたものや冷えたものがいいなぁと思う。

暑い昼の飯

 今日は久々に昼に料理をしたので、気力が少しはましになっているのではないかと思いたい。

 冷凍庫を調べ、すぐに食べられるものといえば冷凍のチキンライスくらいしかなく、「あー、これは野菜もタンパク質も心許ないやつだ」と察してしまった。冷蔵庫に、ちょうど一食分の残りご飯があったことだし、ブロッコリーと冷凍挽肉を具にして炒めた。

 いつものお手軽チャーハンである。味付けにはチューブ入りの中華調味料を使ったのだが、残り少なくてあまり味がつかなかったので、結局塩をふりかけて食べることになった。

 食事には何かタンパク質がないとなぁと言うと、冷蔵庫には生ハムがあるとか言われたのだが、生ハムでどうやって一食分調理しろと? と、わたしは戸惑った。いや、工夫次第では使えなくもないのだろうか、料理のバリエーションがあまりないわたしには、生ハムといったらサラダに添えてあるイメージなのだ。

 生ハム。メロンと一緒に食べてもよいようだが、我が家ではもっぱら、キウイフルーツに乗せて食していたものだ。しかしメロンもキウイも、今家にはないし、それほど生ハムを食べたい気分でもなかった。

 昔、ハムとかベーコンとかそれっぽいものがなかったので、「同じ肉だしこれでもいいだろ」と、生ハムを刻んでチャーハンの具にしてしまったことがあるのだが、物足りないし、それほどよい組み合わせではなかった。火を通した生ハムは、薄っぺらくて風味の飛んだ、ハムらしきものにすぎなかった。

 だからわたしは、冷凍挽肉を使う。挽肉の内容が、豚でも牛でも鶏でも、構いはしない。便利だし、量の調節もしやすい。手も汚れない。

 出来上がった、少し多めの手抜きチャーハンをもりもりと食べたので、暑いとはいえ食欲は落ちていないことにホッとする。夏バテになって、まともに食事ができなくなると、ますます体力も落ちて怖いことになるからだ。

 しかし、この暑いときに、さすがに冷凍チャンポンは食べる気になれなかった。

 そう。チキンライスの他に、実は他にも一つだけ選択肢はあったのだ。それが冷凍チャンポン。「いや、ありえないだろ。こんな冷房付けてても暑い日に、熱々のチャンポンとかさすがに食べる気しないだろ」と、わたしは心で呟き、一度手にしたそれを元に戻した。

 しかし、凍ったままのチャンポンはずっしりとして冷えている。うっかり、よく冷えていて美味しそう、と思ってしまいそうになるが、これは熱々にして食べるものなのだ、と思い直した。

布団を変えるべきだ

 今日の暑さは、またきつかった。暑さとノミに刺されたところの痒みでうまく眠れなかったからだろうか、日中は怠くて仕方がなかった。

 冷房は朝からつけっぱなし。だけれど、ちっとも涼しさや冷たさを感じない。体が熱っぽく、ぼうっとする。やる気が出ない。かといって、べつに熱中症なわけでもない。暑い、怠い、眠い、力が入らない。ただそれだけ。

 とてもシンプルに、人は暑すぎるとダメになると感じる。

 そしてこの暑いのに、たまたま昼食に選んだスパイシーチキンバーガーなるものは、辛かった。ただでさえ辛いものは苦手なのに、口の中がホットになって困った。だいたい、食べ物についてる「スパイシー」て意味が広すぎないか? そんなことを考えてしまった。

 甘ったるいカフェオレでなんとか食べきったけど、甘いカフェオレと辛めのチキンサンドは、あまり相性がよくない食い合わせだった。おかげで、口直しにと更にピザパンを追加で食べてしまった。そっちは普通に、上手かった。

 あとはもう、水を飲む。こまめに飲む。夕方、我慢しきれずにあずきバーを食べる。夕食の後、夜になっても蒸し暑さは引かず、もうひとつアイスを食べたくなったが、アイスは一日一個までにしておこうと我慢した。えらい。

 かわりに、アクエリアスを飲む。美味い。水よりも美味い飲み物だな、と、久々に飲んだので思う。もう喉が渇いたら水でいいじゃないか、と思っていたが、やはり多少は甘くて味があるほうが美味く感じてしまう。

 それでもまだ暑い。深夜になっても暑いぞ、おい。このまま、この暑さが続いて大丈夫なんだろうか。なんだか怖くなってきた。夜中の二時を過ぎて、ようやく冷房が涼しく感じられてきた。遅い。もう寝ろよ自分。

 そしてふとベッドを見ると、掛け布団がよくないような気がしてきた。薄目の羽毛布団なのだ。べつに冬用とかじゃないし、たぶん夏でも使えるタイプだと思うんだけど、羽毛なのだ。

 もっと薄い、ガーゼの夏用掛け布団があったはずなのだが、クローゼットから出すのが億劫なのだ。しかしもう、面倒くさがってる場合じゃなくない? ようやく、そんなことに気づく。そうして頭が回っていないのは、暑さのせいだと思いたい。

 だが気力がないので、今日はまだこの羽毛布団で寝るのだった。

部屋のどこかにある携帯

 本日も実にふざけた暑さだったので、水をガブガブと飲む。当然のように冷房は朝から深夜までつけっぱなしだ。それでも日中は室内でも暑く、夜中になってようやく一息つく。風呂に入って髪を乾かしたりしている間に、また汗だくになるし。

 ちまたでも散々言われていることだとは思うが、本当に2020年の東京は無事でいられるのだろうか。それほど真剣に考えているわけではないが、ぼんやりと想像するだけで「うわぁ、大変そうだなぁ」と思ってしまう。

 そういや、アレは集まったのだろうか。なんか、メダルを廃棄する携帯やスマホやPCからリサイクルして作ろうってやつ。以前、興味本位でちょっと調べたら、だいぶ気の遠くなる話だったけど。

 自分の今使っている携帯電話は、人生で二台目、しかももう七年くらい変えていないガラケーである。ガラケー用のサービスは次々と打ち切られたので、今はほぼ純粋に通話とメールをするだけの機器と化しているが、本来はコレで音楽も聴けて、テレビも見られて、ネットもやれて、カメラにもなって、他にも色々便利機能の付いている道具のはずだったのだ。

 しかし今では、外出先で地図を調べることもできないし、バスの時刻表をチェックすることもできない。サービスが、終了したから。数年前までは、こいつで電池が熱くなるほど、ツイッターもソシャゲもやっていた、というのが今では不思議なくらいだ。

 わたしはネットやゲームに対して、多少依存的な傾向があるので、それらが使えなくなったということは、逆によかったかもしれないと思っている。だから未だにスマホにする決心がつかない。

 一台目、最初の携帯は、リサイクルに出すこともなくしまってある。なんとなく。

 思い入れがあるとか、そういうものではないけれど、なんとなく自分の生活に密着しすぎた道具というものは、処分に困る。さほどかさばる物でもないし、部屋のどこかに適当にしまいこんで、そのままだ。

 物をリサイクルに出す、というのは、それほど気軽な行動でもない。わりと、思い切りが必要だ。決心というか、決断力というか。自分には欠けがちなものが。

 というわけで、メダルの一欠片にしてやるために、わざわざ部屋の中を探してまで役所にリサイクルに持っていく気にはならないなぁ残念だけど、と思うのだった。

暑い日々

 暑い、と言うのも馬鹿らしいくらい、暑かった。

 その暑いなか歩いてコンビニに到着すると、冷房が効いていて、悔しいくらいに居心地がよい。しかし買うべきものを買ったら、また暑いなかを歩いて帰ることになる。短い距離とはいえ舐めてかかると、家へ着いた頃にはグッタリしている。

 気がついたら、買う予定のなかったミルクティーを買っていた。当然、すぐにゴクゴクと飲んだ。

 風は多少あったのに、むあっとした湿気に包まれた空気が流れてくるという感じだった。冷房をつけた部屋と、外との落差がしんどい。窓際の温度計なんか、36度とか38度とかになっている。

 こうも暑いと、もう「運動しなくちゃ……」みたいな焦りも向上心も、どこかへ飛んでいく。動きたくない。こんな時期に元気に運動とかスポーツとか、する気にならない。

 七月もまだ半ば、八月にもなっていないというのに。いや、七月でこれだけ暑いんだから、八月になったら逆にちょっと手加減してくれないかな、地球。そんな無意味なことを考える。実際、暑さが前倒し状態になって、八月に入ると暑さが和らいだような年もあったような気がするのだ。曖昧な記憶だけれど。

 ただ暑い寒いは自分一人だけの苦労ではないので、まだ連帯感があるだけマシとも言える。少なくとも、それは孤独な苦しみではない。

 テレビをつけて、天気予報を見れば、真っ赤を通り越して紫に染めあげられた日本地図と、ずらずらとおぞましい数字の並ぶ週間予報が毎日のように目に入る。もうそうなると、笑ってしまう。

 いや、これで冷房器具がない人のことを考えると、全然笑えない話ではあるのだが。

 最近は学校にもエアコンが設置されているらしいということで、まったく羨ましい。わたしの子どもの頃には、教室に冷房なんてなかった。時代が違うから、と言うこともできるけれど、それでもやはり夏場は冷房のある部屋で勉強したかった、わたしも。

 しかし学校というところは、とにかく子どもに「我慢」をさせたがる場所なのだった。そうなる理由はわからなくもないが、子どもというものは、とにかく大人に信用されない。子どもというだけで、自己中心的でわがままで愚かな生き物だと思われている。そして実際に、自己中心的で愚かだったりするのだ。わたしがそうであったように。

 とはいえ、こうも毎日暑いのは、健康にもよくない。大人だろうが子どもだろうが、休むときには休んで、涼むときには涼めるようになった方がよいに決まっている。

暑いのでアイス

 暑いので、アイスが美味くなってきた。糖分を取りすぎるのはよくないと思っていても、ついつい手が伸びてしまう。昨日は「爽」の苺ヨーグルト味を食べ、今日は「エッセルスーパーカップ」の抹茶味を食べた。

 ところでアイスと一口に言っても、種類は様々である。アイスクリームと呼びながら、実際には乳脂肪分などの割合で、アイスミルクやラクトアイスと分けられ、脂肪分などのないガリガリくんなどは、氷菓ということになる。

 わたしは乳脂肪分が少ないアイスの方が好みだ。とくに「爽」のシャリシャリ感が好きだ。もともと、クリーム系よりもフルーツなどのシャーベットの方が好きなのだ。身内はねっとりとしたクリーム感の強いアイスが好きらしい。いわゆる、リッチ系というやつだろうか。家族のなのに、食の好みは合わない。

 乳脂肪分の高いバニラアイスは、たまにコーヒーに浮かべて、コーヒーフロートにする。コーヒーの苦みがあるので、脂肪分のしつこさがちょうどよくなる、気がしている。

 明日は猛暑日になるらしい。怖い。天気予報の日本列島が、やたらケバケバしい色合いに塗りたくられているのを見るだけで、げんなりする。もはや冷房は命綱だ。明日のアイスもさぞ美味かろう。 

 そういえばここ数年、かき氷というやつをまともに食べていない。最近は、夏はカフェチェーンでもかき氷をメニューに入れているというのに、外食でわざわざ選ぶ気になれないのは、わたしのなかに「でも氷にシロップかけただけだしなぁ」という感覚があるからだ。

 子どもの頃は我が家にも、かき氷機というものがあって、ガリガリと取っ手を回して氷を削っていたものだ。出来上がった氷は、荒いし口当たりもよくはないが、自分で削って作業をしたという実感がある分、楽しく美味しいものだった。余ったシロップは、炭酸水で割るとジュースとしても消費できた。

 ネットやテレビなどを見ていると、色々と工夫されフルーツなどが盛られた、お高いかき氷の情報を得られるが、わざわざ暑い中、そうした店にまで行く気力体力はない。なかには、暑い中、行列に並んでまで食べる人々もいるらしいが、元気だなぁと感心する。

 明日はとりあえず、冷凍庫の中の「アイスの実」でも食べようかなと思う。

ノミとの戦い、再び

 その虫刺され痕を発見したときから、なんか嫌な予感はしていた。蚊に刺されたときよりも痒みがはっきりしていたし、同じところを並んで三ヶ所も刺されていた。

 わたしは思った。これはアレだ。最悪の場合、ノミの可能性がある――と。

 その可能性は、なるべく考えたくはなかった。できることなら、現実として向き合いたくはなかった。だってもう、ここ何年間もわたしはノミに刺されることのない夏を過ごしていて、あれは過去の悪夢、思い出と人生の経験値としてだけ残っていれば充分な記憶だったのだ。

 だからこれは、アレに似ているけどきっとべつの虫にたまたま刺されただけのものだ。わたしはそう思おうとした。それか、アレに刺されていたとしても、屋外。屋外で偶然に刺されてしまったのだ。そう思いたかった。

 ノミに刺されたときの腫れと痒みは、時間をおいてから酷くなる。羽音をたてて飛び回っては視界に入るような蚊とちがって、その存在になかなか気づけない。もしノミが室内――しかも、家の中のどこにいるのか分からない場合、探そうとしてもそうそう見つかるものではない。小さいし、ぴょんぴょん跳ねるし、家具などの影に潜んでいたら発見しようもない。いっそ、そうして二度と遭遇しないうちに、外に出るなり干からびてくれるなりしてくれればよいと思う。

 しかし、わたしは発見してしまったのだった。風呂に入りながら、虫に刺された痕を「うーん、やっぱり腫れて悪化してきている……」と気にしつつ、風呂から上がって部屋に戻ると、まさかと思ったやつがいた。

 洗濯して畳んだまま、箪笥にしまわずベッドの上に置きっぱなしにしていた、わたしの白いTシャツの上に、ぴょんと跳ねる黒点を見た。その瞬間ですら、わたしはまだ半信半疑で、確信はなかった。それでも、それが本当にアレだったのなら、ここで取り逃がせば数年前の悪夢が再び、ということになる。その危機感でわたしは動いた。

 今、手元には殺虫剤も何もない。目標は、ゴマ粒ほどのサイズの虫一匹。何か道具を取ろうにも、目を離した途端に見失うだろう。こうなったら、素手で挑むしかない。ほとんどヤケクソで、わたしは手を伸ばした。当然、跳ねて逃げられ、見失う。しかし床を見下ろすと、運良くわたしの勘は当たり、ノミはフローリングの上を跳ねていた。

 逃すものかと勢いつけて、指先で押しつぶす。しかし小さすぎて、指の先にも手応えがない。それでも周囲に逃げた様子もないので、とりあえず思いっきり指でグリグリする。そう、ノミはなかなか潰れない。

 確認のために、そうっと指を離す。はたして、ノミはそこにいた。しかしまだ息の根は止まっていない。まだ跳ねる。

 完全に捕らえて処分するためには、セロハンテープが欲しいところだが、それを取りに行くには、ここから移動しなければならない。確実に、指先で摘まんで捕らえておかなくては。

 幸い、指で押しつぶしていた試みが効いていたのか、ノミの動きは多少鈍くなったように見えた。しかし、それでもまだ跳ねるのだ。おそるべし、ノミの生命力。これだから嫌なんだノミとの戦いは!

 そうして何度かチャレンジし、ようやく指先で摘まみ上げることに成功すると、わたしはようやくセロハンテープを取りに移動できた。あとは慎重に逃がさないように気をつけながら、テープに虫を貼りつける。

 正直、「やってやった」と達成感があった。やりたくもない戦いだったが、とりあえずわたしは勝ったのだ。後は、これが室内に侵入した最後の、そして唯一のノミであることを祈るばかりだ。

 しかし、我が家にノミが入ったことは何度かあったのに、いつも刺されるのがわたしだけというのは、一体どういうことなのか。わたしはそんなにノミと相性がいいのか。今日運良く発見できたのも、ある意味ノミとの縁を感じてしまい、嫌な気持ちになったのだった。