後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

どこにも行けない

 大晦日ということで、うちでも蕎麦を食べた。

 しかし、我が家は家をリフォームする際になぜか蕎麦やうどんを入れる用の丼を処分してしまったらしく、丼が一つしか存在しない。仕方ないので、家族の何人かはラーメン用の丼で蕎麦を食うことになる。正直不便だと思うが、何年経っても誰も丼を買い足さないのだった。

 

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 年末年始といえば、個人的に地獄の季節なのである。

 昔はそうではなかったが、近年は生きているだけでもしんどい年末年始が多かったので、この時期が近づいてくるだけで情緒不安定になりそうになるくらい苦手になってしまった。まあ、それでも最近はよくなった。しかし、それもいつまで続くのかわからなくて、無性に不安になるので結局何ひとつ安心できないのである。

 明日の正月には、親戚が来る。それもつらい。色々とつらい。精神的にきつい。逃げたい。どこか遠くへ行きたい。しかし行く宛てもない。わたし、生きるの向いてない。行こうと思えば行けるはずなのに、どこかに行こうという気力も実行力もないだけなのだ。

 本をまとめて買った。この年末年始にでも読もうと思って。でもたぶん、読まないと思う。そんな気がする。去年は何をしてたっけ? 思い出せない。三日にはある店の初売りに行ったのだが、あれは早起きしてちょっと張り切った。しかしそれも逃避というか散財というか、どこか遠くへ行きたいという代わりの衝動的なストレスからの行動なので、あまり前向きではなかったのだ。

 それでもどこかには行った方がよいのかもしれない。一時しのぎの気分転換だとしても、それはそれで大切なことなのかもしれない。そのことに罪悪感や無力感を抱きすぎていることの方が、おかしいのかもしれない。

 でもどこに行けばいいんだろう、と途方に暮れる。いつもの場所、いつもの店くらいしか思い浮かばない。それでもないよりはマシなのかもしれないけれど。考えれば考えるほど、「どこに行っても同じ」という気もする。しかし、どうせわたしはその狭いサイクルの中でしか動けないじゃない、とも思う。

 「どこかへ行きたい」というのは、その狭い輪の中から出たいということなのだ、本当は。でも実際には、どこにも行けないのだ。行ける力がないから。わたしはそれをわかっていて、だからいつも落ち込むのだ。