後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

大人になっても歯医者は怖い

 歯医者に行った。予想してた通り、前に治療したところが剥げてしまい、歯に穴が開いたということらしかった。治療したのもかなり昔のことなので、忘れかけていた。そして虫歯が一本みつかったので、これは次回に治療することになった。

 どうやら歯医者に行ったのは、五年ぶりになるらしい。そうか、二本目の親不知を抜いてから、もう五年経っていたのか。やはり記憶が曖昧だ。もっと昔のような気すらしていた。

 歯に空いていた穴は埋まったので、安心感はある。痛みはなかったし食事にも支障はなかったので、歯に穴が空いている状態も、三日くらいすると慣れてしまっていたのだが、やはり治療はされていたほうがいい。

 しかし何歳になっても、歯医者に行くのは憂鬱になる。子どもの頃ほどの恐怖感や絶望感はないが、大人だってゴリゴリ歯を削られるのは怖い。あのひんやりとした、神経に直接響くような振動と痛み。自分では見えないとこに、何か凄いことが起きてるんじゃないかと想像をたくましくさせる、あの音。それらを「まあ健康のためには耐えなきゃ仕方ないからなぁ」と受け入れることができたとき、自分も大人になったものだと思えたものだ。

 わたしは予防注射の恐怖に泣き叫ぶタイプの子どもだった。あんな痛くて恐ろしいことを、どうしてするのかと心の底から嫌がった。なので当然、歯医者も猛烈に恐怖したし、克服するのにはとても時間がかかった。

 子どもの頃は、現実のこともよく知らないからその分、物事の捉え方は想像力に頼りがちになる。そして想像力は、恐怖や不安を増加させる。「想像は自分の頭の中だけで起こっていることであって、現実ではない」ということを理解できないのが子どもの世界である。そして大人になってそのことを理解したとしても、一度湧いた不安や恐怖はなかなか御しきれるものでもない。情動が理知によってコントロールできるのなら、もっと多くの人が生きやすくなるだろうに。

 それに大人だって誰だって、痛いのは嫌だし怖い。歯医者の治療程度に怖じ気づかない鉄の心はどこへ行ったら買えるのだろうか……。

 新たに見つかってしまった虫歯の治療のことを想像すると、やはり「うう、痛くないといいなぁ」と、神に願わずにはいられないのだった。