ジャンプ44号の感想
一度始めてしまったために、定期的にチャレンジしたくなるジャンプ感想です。
『ブラッククローバー』
この漫画読んでいると、「いや、そもそもこの国に問題ある気がするし、そこを変えていった方がよいと思うんだけど……」とか考えてしまい、対象読者でないことを突きつけられる。
『食戟のソーマ』
時雨煮、美味いよね。タクミくんようやく報われるのだろうか。悪役として一貫している叡山先輩も嫌いじゃないです。しかし遠月ってもともと能力主義のサバイバル学園なのに、今更「実は意図的に集められていました」って情報出されてもなぁ……。
『ONE PIECE』
プリンちゃんの情緒が心配になる。
『Dr.STONE』
この作品、科学万能というより、科学は個人の能力を補強したり、多様性を活かすことができるのだという観点から描かれているのは好きですね。しかし、それに対する司はどうなってるんですかね……最初は主人公かと思ったら交代してしまった彼とかさ……。
『約束のネバーランド』
そのうち、このオジサンの掘り下げもあるのかなー。楽しみだなー。
『鬼滅の刃』
宇髄さん、嫁三人いても許される説得力がある。強い。
『ぼくたちは勉強ができない』
小美浪先輩、出てきたときは「キャラ増えすぎると、後々話を畳むのに大変じゃない?」と余計な心配してしまったけど、先輩らしさが出ててよかったです。あまり恋愛関係でゴタゴタしないといいなー。
『ROBOT×LASERBEAM』
「やっぱり親子」とか主人公の新設定が出てきて、申し訳ないがズコーッとなった。それはちょっと……今時、いくら何でも……。しかし、ここで「うんち君」みたいなネタが出てくることといい、男児が楽しめるように軌道修正してきたのかなという気もする。
『魔法少年X』
雰囲気があって面白かったです。絵も世界観に合っていて魅力がある。しかし中年のわたしが面白く感じても、ジャンプ的にはどうなのかわからない。タイトルがちょっと合わないかなぁ。
『斉木楠雄のΨ難』
「くっ…燃堂君の弱点の頭を狙われてしまった…」で不覚にも素直に笑ってしまったので、なんか悔しい。
『ゆらぎ荘の幽奈さん』
基本お色気漫画だけど、ほのぼのした読後感にするのも上手いんだよなぁ。
『僕のヒーローアカデミア』
本編もシリアスだけど、あの、作者さんもご自愛ください……。と外野が言っても難しいんだろうけど。ハラハラするのは漫画だけでいいんで、ほんと。
『火ノ丸相撲』
桐仁くんがこういう展開になるとは、ちょっと意外で面白かった。
『ハイキュー!!』
「鬼応援団」……応援にも色々な形があるんだな。
『銀魂』
う、アルタナの設定がなかなか頭に入らない。でもパパは好きなキャラなので楽しかったです。
『青春兵器ナンバーワン』
北斗はわりとシリアス寄りだと思ってたんだが、更にシリアスになると暑苦しさが加わるのか。コンビニのおじさんが2000円で用意してくれる「最高の装備」が良い。
『シューダン!』
ロクくんのお話かー。居心地のいい場所か、そこから更に先を目指すか、て決断するのは大人になるほど難しくなるんだよなぁと思いました。
『クロスアカウント』
なんかこう、正体を隠している系の話って見ていていたたまれなくてざわざわしますね。男装? 演技で乗り切るの? 大丈夫なんだろうか……色んな意味で。
『腹ペコのマリー』
こちらはこちらで、急にシリアス薬でも盛られたような展開だなぁ。
『磯部磯兵衛物語』
わりと定番の透明化ネタだけど、まだやってなかったっけ。磯兵衛の自業自得オチはけっこうバランスが良いなぁ。
以上。感想練習のためにも、気が向いたらまた書きます。
抹茶ティラミスを食べた
今日は星乃珈琲で、抹茶ティラミスというものを食べた。
わたしは今までティラミスというものを今まで食べたことがない。コーヒーとマスカルポーネで出来たケーキだということくらいは知っているが、なんとなく選択肢の中から選んだことがなかった。
基本的に、わたしはフルーツ系のケーキが好きなのだ。そのため、星乃では苺の乗ったレアチーズケーキを頼むことが多かったが、メニューが変わったので今はない。どうやら、今年の夏から消えているらしい。
たしかにこのレアチーズケーキ、妙に小ぶりだったので満足感がなく、わたしももう頼む気がしていなかった。だから今日、初めての抹茶ティラミスを前にして「あ、思っていたよりも大きい」と思えた。やはり苺は高く付くのだろうか。
味は、まあ何というか「抹茶風味のやわらかチーズケーキですね」といった感じだった。そこそこ満足はした。
そもそも星乃はケーキを目当てに来ているわけではなく、一人でのんびりくつろぎながら本を読んだり、思考を整理する作業をするために行くのだ。だが金を払う分は、ある程度の満足感は欲しいわけで。余裕のない人間の悲しいところだ。
ケーキセットは720円。ケーキ単品で420円。合わせられるドリンクがだいたい400円だから、セットは100円ほどお得だ。星乃はスフレパンケーキが有名だが、ちょっと高い。シングルでも550円。生クリームを加えれば650円、ソフトクリームを加えれば700円。季節限定のものは880円。それに400から450のドリンクを合わせれば、1000円に達する。ちょっとしたおやつに1000円は、痛い。
そういう計算を頭に置いて「だったらケーキセットにせずにドリンクだけで済ませるのが一番賢くない?」と言い聞かせるのだが、店に入るとついケーキを頼んでしまう。これもまた自制心の弱い人間にありがちな判断らしい。
強くなりたい。そう思いながらも、つい季節毎に切り替わる新メニューみたいなものはチェックしてしまう自分の欲は否定できない。それはもはや食欲ではなく、「何かいいことないかな」という報酬を求める惰性なのだが、今のところ克服できる兆しもない。
そういえば以前、星乃で「クレマカタラナとアングレーズソースのスフレパンケーキ」というものを頼んで、レシートを見たら「プリンソース」と書かれていたときは、「じゃあメニューにプリンソースって書けよ! そっちの方が短くてわかりやすくていいよ!」と思った。
飲食店のことは、よくわからない。
腹がへっても食べてはいけないものはある
深夜なのに、お腹が空いてきた。
いや、深夜だからお腹が空いてきたのか。最近はあまり夜に空腹になるという感覚がなかったので、久しぶりな気がする。しかも眠い。珍しく深夜に眠い。昨日あまり眠れなかったからだろうか。小刻みに目が覚めて、へんな夢ばかり見ていたからだろうか。
この前テレビを見ていて、「グローサラント」という言葉を知った。なんでも「グローサリー+レストラン」の造語だそうで、要するにスーパーマーケット内にあるレストランを指すらしい。
すぐに頭に思い浮かんだのは、スーパーのイートインスペースだった。最近増えている気がする。スペースの端に飲料の自動販売機があって、ある店ではほとんど高齢者の茶飲みスペースみたいになっていた。だがグローサラントは、そういうのとは違うらしい。スーパー内で調理したメニューを提供するレストランらしかった。
小さな子どもを連れたお母さんが、買い物ついでに食事を済ませて「洗い物が出ないから楽でいい」と言う映像が流れ、そうだよねぇ、ゴミや洗い物の処理がまた面倒なんだよねぇと思ってみていたら、成城石井のグローサラント展開を紹介する流れになっていた。
そこで目玉メニューとして作られていたのは、990円の和牛を使ったハンバーガーだった。トリュフを使っている上に、目玉感を盛り上げるためにパティを二枚も使っているという。うーん、とわたしは首を傾げた。なんか、求めているのはそういうのじゃないなぁと思った。まあ成城石井だからわたしには関係ない。
気がつくと、ハンバーガーもカレーもラーメンも、そこそこ胃にもたれる歳になってきた。それでなくても子どものころから腸が弱くて、よく下る。外出時にあまり重いものを食べてしまうと、その後つらいことになる。
忘れもしない、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を映画館に見に行ったとき、昼食に食べたエッグベネディクトのせいで、クライマックスで腹がぎゅるぎゅると下ってきてとてもつらく集中できないという悲しい事態になった。
外食には気をつけなければいけない。思い返せば、『ミュシャ展』を見に行ったときもそうだった。パスタが思ったよりも腹にきて、帰りの電車の中で腹痛を耐えなくてはならなかった。
値段とか好みとかだけで、外食の飯を選ぶと大変なことになる。わたしの胃腸は強くないのだ。自重しなければならない。そう思って、サンドイッチなどを選んでも、やっぱり下るときは下る。いったい何が原因なんだ、とわからなくなる。
ああ美味いものが食いたいなぁ、と思っても、食ったら食ったで人間の体は色々めんどうくさいものですね。
十月が始まる
世間の話題はつらいだけだ。
本当につらい。具体的に掘り下げたくもないので、あえて語彙を貧しくしたいくらいにはつらい。忘れるためには、楽しいことをしたい。ソシャゲくらいしかする気がしない。嘘。まあ小説とか漫画を読んだり、掃除したり、甘いもの食ったりしていてもそれなりに気は逸らせる。
逸らせるけれど、それは自分の意識から追い出しているというだけであって、厄介な現実は何も変わらずに、わたしの周りに転がっている。転がっているのか鎮座しているのか包み込んでいるのか、いまいち適切な表現がわからないけれど。それはたぶん、わたしの気分や精神状態によっても変化するのだ。
一番苦しいときは、身動きもできないほどに圧迫されているように思う。逃れられずに、どこにも行けずに、苦しんで死ぬしかないのだと思う。そう思い込んでいるだけで、あるいは思い込まされているだけで、違うのかもしれないけれど、一番苦しいときにそんなことの違いを考えてる余裕はない。ままならない。
まあこういう文を吐き出せているときは、わりと余裕はあります。前向きな方です。
しかし、個人的なことから、地域的なことから、社会的なことから、大小それぞれの「ああ~コレつらいなぁぁ」な事が重なっていて、なんか目を覆いたくなる。そんなときはネットなんかやらん方がいいのだけれど、それはあくまで個人的な精神衛生のためにはなっても、不快な情報さえ目に入れなければ世は事もなしとなるほど、世の中は安全ではないでしょう?
目を背けて安寧を手に入れられるのは、目を背けて何も考えなくても生きられるくらいには足下の地盤が安定している人だけで。たいていの人間は目を閉じ耳を塞いだら、そのまま死ぬかもしれんしね。
ところで、もう十月だ。十月の良いところを考えよう。新アニメがたくさん始まるじゃないか。楽しみにしていたタイトルもある。だがしかし、わたしのテレビの録画用HDはそろそろ空き容量が足らなくなってきている。録画するには古いものを消すしかない。悩む。
近所の閉店した飲食店の跡地に、新しい店がオープンするのもちょっと楽しみだ。過ごしやすい店だったら、頻繁に通えるし。まあ立地的に、そうゆったりはできなさそうだけど。
あと、気になっていた映画もやる。うん、久しぶりに映画を見に行こう。また交通費と飲食費とついでの買い物で悩んだり後悔したりするだろうけど。
そうだ。本も予約したんだ。これは楽しみというより、自分に対する課題のようなものだけど。読むこと自体は嫌じゃない。ただ、読書時間をうまく扱えていない感じなのが落ち込むだけで。
けれど、それが終わったらどうしよう。それが期待外れだったらどうしよう。わたしはまた新しい楽しみを探さなくてはならないだろう。どのみち、そうして騙し騙し生きていくしかないのだけれど。楽しみ探しが義務でしかないのなら、わたしの生の喜びとはどこにあるのだろう。いや、無いんだけれど。無いからこうして常に焦るように何かを探しているのだけれど。
ムクドリの声を聞いた
昨日の森厳藍碧ネタ、もっとさくっと書くつもりだったのに、気がついたら妙に長くなっていた。おかしい。結局、読解力ネタ書いたのと同じくらいの時間がかかっていた。そのわりに中身は薄い。まあ何かに引っかかったときの自分の思考回路や手順を備忘録的に残しておきたいみたいな目的だったので、濃くなりようはないのだが。どうにも心残りがあるのは、備忘録的な目的にしても、無駄に時間ばかりかけて上手くまとめられなかったという反省があるからだろう。
そもそも『殿裡』がなぜフィーリングで読み解けるのかというところに、もう少し引っかかりがあったはずなのだ。他の作品で見て、文脈から情報を読み取っていたという既視感なのか、漢字からなんとなく意味がわかるという効果なのか。その両方か。
なのに、考えながら書いていると文を整えるのでいっぱいっぱいになって、何を書こうとしていたのかを忘れてしまうことがある。つまり、事前に要素の洗い出しと整理ができていない。いつものことである。
理想としては、書きはじめる前に何を書くのか決めておくことである。書きながら考えているからとっちらかるのである。しかし、書きはじめないと何が書きたかったのかも見えてこないのが現実だ。つらい。
それに書きはじめても、すぐに「いや、この部分いらなくね?」と思えてしまう。深く考えはじめると結局何も書けなくなってしまう。だから書けたものをとりあえず終わらせるしかない。まあそんなもんだ。どっちにしろつらい。
つらいと言えば、最近また体重が微増してきた。天高く馬も肥ゆる季節だからか。軽い運動はしているものの、ストレスの軽減となる甘味を減らすという選択は頭にないからか。プラマイゼロどころかプラスに偏ってきつつあるのか。運動量を増やせばいいのか。いや、それは嫌だ。運動を増やすくらいなら、散歩に行こう。寒くなる前に。
しかし散歩で困るのは、何も考えずにふらふらと外を出歩くと、思わぬ散財をする危険性があるということだ。喉が渇いて飲み物が欲しくなってしまったり、動いたんだからちょっとくらいいかとスナック菓子に目移りしたり。ついでに日用品の予備を買っておこうかと入った店で、つい余計な物まで買いたくなってしまったり。
ありとあらゆる行動のすべてに自制心が試される。人生は、人の道は厳しい。
結局、散歩に行ってきた。目当ての物以外は買わなかったぞ。わたしは誘惑に勝った、偉い。偉くないのは、また店内をウロウロして物色だけはしてしまったことだ。
ところで、買い物をした店の近くに神社があるのだが、近くに寄るとピチュピチュと甲高く騒がしい音がする。最初は人工の音声かと思ったが、どうやらムクドリのようだ。見上げると木の陰に何羽もの鳥の影が見えた。
シンゲンランペキ
えー、本日は、昨日の読解力云々の記事に入れようかと思っていたけれど入らなかった、お粗末なネタを一つ。
わたしは趣味で電子ノベルを作っていたことがあったんですね。ノベルゲームみたいな感じで読む小説ですね。自分で小説を書くわけではなくて、制作ツールを弄って遊んでたんですね。で、せっかくだから、読もう読もうと思っていたけれど読んだことのない有名作品で作ってみようと思ったんですね。ツールの手習いにもなるし、未読作品も読めるし、一石二鳥やんと。
そこで手を出したのが、泉鏡花の『海神別荘』でした。で、その冒頭にいきなりこんな文があるわけですわ。
森厳藍碧なる琅玕殿裡
どうでしょう。読めますかね。意味分かりますかね。わたしは無理でした。
しまったな、と思いました。もともと泉鏡花ってハードル高いイメージあったけど、自分にはとくに向いていないかもしれないぞと思いました。読んでても公子にムカムカしてきましたしね。まあそれは関係ないんですけど。作品によってもムカムカしたりしなかったりすることはあるので、合うとか合わないとか一作では判断できませんしね。まあ関係ないんですけど。
で、これは『シンゲンランペキなるロウカンデンリ』と読むわけです。
今回読み直すまで、わたしの記憶の中ではなぜか『シンランゲンペキ』となっていました。ダメですね。さすがに冒頭からつまずいて諦めるのも恥ずかしいので、当時、意味は調べたんですけどね。記憶に残ってないんじゃしょうがないですね、はい。
『森厳藍碧』も『琅玕殿裡』も、まず日常ではまずお目にかからない言葉ですね。かろうじて見たことがあり、イメージが浮かんだのは『殿裡』くらいでしたね。なんつーか、漢語教養でぶっ叩かれている気がしますね。まあ大正のお話ですからね。知識人レベルというものが違う気がします。しょぼーん。
しかし、意味がわからなくても、この文章はなんとなく「『琅玕殿裡』が『森厳藍碧』なんだなぁ」とは、ぼんやり読めるんですね。『なる(断定の助動詞)』で繋がれていることによって、日本語として『形容詞+名詞』であることはわかる。まあこれは後付けの理屈で、形容詞、助動詞、名詞、という概念を理解していなくても感覚的にわかるんですよ。
文章読解って、この感覚に頼っているところが大きいんですよね。よく言われることだけど、「読める=わかる」わけではない、という。むしろ、すべてを理解しようと努めながら文章読んでいたら、いつまでたっても読み終わらないわけですよ。なんとなくフィーリングでわかったような気になって読み流す、ということができるから読み通すことが可能になるわけで。
だから昨日の記事の『短文も理解困難』て見出しにちょっと引っかかったんですね。確実に読み解こうとしたら、短文だって難しいこと普通にありますからね。むしろ情報が少ない分、誤読しやすくなる可能性だってありますよね。
で、単語の意味は、わからなかったら調べることになるわけです。ネットでもいいし、紙でもいいし。
まずは『森厳藍碧』からいきましょうか。『森/厳藍碧』『森厳/藍碧』『森厳藍/碧』……。どこで区切ればいいのか迷ったら、四字をそのまま検索窓にぶち込めばいいんですよね。辞書なら『シンゲン……』で捲ればいいんですしね。まあ『森厳/藍碧』なんですけどね。
森厳(しんげん) きわめて厳粛でおごそかなさま。
藍碧(らんぺき) 青みの強い緑色。
琅玕(ろうかん) ①美しい玉。硬玉・軟玉などの宝石。
②美しい竹。
③美しい文章。佳文。
手っ取り早く http://www.weblio.jp/ で調べた結果です。これだけだと手っ取り早すぎる気もしたので、手元にある辞書でも調べてみました。
森厳 身の引きしまるような、おごそかなようす。
琅玕 碧玉(へきぎょく)に似た美しい鉱石。中国でとれる。
三省堂国語辞典第三版
えー、わたしの持っている一番古い辞典で、なんか表紙がねっちょりしています。あまり触りたくありません。ちなみに『藍碧』は載ってませんでした。
ここで『琅玕』のイメージがより具体的になったけど、一応『碧玉』も引いてみますよ。
碧玉 ①みどりいろの宝石。
②不純物のため、すきとおっていない石英。色は緑・赤など。
念のため、手元にあったもう一冊の辞典でも引いてみますかね。
森厳 思わず襟を正すほど荘厳な様子。
藍碧 あいのように濃い青色。あおみどり。
琅玕 暗い緑色(青みがかった緑色)で半透明の美しい宝石。
〔中国では、特に翡翠を指す〕
新明解国語辞典第五版
はい、『藍碧』がありました。まあ、漢字そのままの意味なんですけど。
ここで意外に『琅玕』の意味が広がってきました。weblio では色情報もなかったのに、翡翠の可能性まででてきた。こういうことがあるから読解に悩んじゃうんですよね。
で、次は『殿裡』ですね。実は『殿裡』って言葉は調べてもまったく出てこないんですね。 つまり『殿』『裡』と調べるしかわけですね。まあこれもフィーリングでわかるっちゃわかる気もするんですけど、一応。
殿 貴人の邸宅。御殿。(岩波古語辞典)
身分のある人の住む、広い家。(三省堂国語辞典第三版 )
大きくて立派な建物。(新明解国語辞典第五版)
ちなみに、岩波古語と三省堂は『との』、新明解は『でん』で建物としての説明がありました。……ぐわー、めんどうくさくなってきた。
次は『裡』です。これでラストだ。さっくりいこう。
『裡』は「裏」の異体字。わざわざ辞書引用するのももうアレなので言うと、物の内側を指します。そうすると『殿裏』はつまり御殿の中て意味ですね。
はい、これで『森厳藍碧なる琅玕殿裡』のイメージが頭に浮かびやすくなりましたね。
え? こんなに長々と当たり前のことを書いて何を伝えたかったのかって?
それはね、いい歳して超有名作品の十文字を読解するのだって、けっこう大変なんだぞ! てことが言いたかっただけなのです。
「読解力」って何だろな?
先日、こんな記事が話題になっていた。
「ふへーん」と思いながら目を通した。たしかにちょっと気になる話題だけれど、これだけでは具体的な感想を持ちようがない。
そもそも、読解力って何なのだろう。
論理的な理解力? 語彙の知識? 文字列の認識能力? 日本語構文に対する理解? 文字に対するイメージ喚起力? 識字障害との関連性は? 文章の読みやすさ(情報伝達の上手さ)はどれだけ影響するの、しないの? どんな文章が読みやすいか理解しやすいかって、認知能力の個体差によっても違いがあるの?
そんなことをぼんやり考えていたら、以下のツイートがたまたま目に入ってきた。
相関がなかったのは、性別・得意な科目不得意な科目・一日の学習時間・スマートフォンの利用時間・読書の好き嫌い(5段階)・好きな本のジャンル・今月読んだ本の冊数・新聞購読の有無・通塾・習い事など多岐にわたります。能力値と意味のある相関があった項目は特に見当たりません。
— norico arai (@noricoco) 2017年9月23日
「はふーん」と思った。興味深い。
わたしは国語だけは得意だったタイプで、読解問題でつまずいた記憶はない。しかし実際には、読みにくい文章、わかりにくい文章、苦手な文章というものはあるし、そこに何か理由はあるなら理解したいものだ、とは常々考えている。
この問題が、解けるかな?
で、次はその読解のための問題文らしきものがツイッターに回っていたのが目に入った。こういうやつ。
アミラーゼという酵素はグルコースがつながってできたデンプンを分解するが、同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない。
セルロースは( )と形が違う。
ほうほう、と思いながらチャレンジしてみたら、これが意外に難しかった。なので、その理由を自分なりに考えてみたのだった。
「知識」は不要か?
まず、恥ずかしいことにわたしにとっての第一の引っかかりポイントは、「やべぇ、化学の知識なんてほとんどない(忘れている)から、名詞が呪文に見える!」だった。
この文章に対して「読解問題なので知識は関係ない」と主張している人も複数見かけたけれど、いやいやいや、知識は文章読解のスムーズさに大いに関係ありますよ。単語が謎の呪文に見えるか、固有名詞の意味を理解しているか、脳内でそれを具象化しながら読み解けるかどうかは、雲泥の差ですよ。そりゃ構文さえ理解していれば、時間をかけて読み解くことはできるかもしれないけど、時差が勿体ない。
わたしも最初は「ア、アミラーゼ?」て思った。で、慌てて「いやいやいや、違う。やべー」と真剣に見直すことになった。
地道に読解してみる
で、まずは文章読解の初歩に立ち返ってみることにした。
1.主部と述部を抜き出す
文章のメイン部分。ここが理解できれば、あとはオマケのはず。
2.主部と述部以外を見る
グルコースがつながってできたデンプン
ここでようやく頭の中にデンプンとセルロースが同ジャンルだと認識できてくる。そして「同じグルコースからできていても、形が違うセルロース」という文が混乱の原因だとはっきりした。「同じグルコース」と「違うセルロース」が、対になっているように見えてしまうのだ。
3.補足する
↓
これでスッキリ。謎は解けた。
グルコースやらセルロースやらの意味はわからなくても、文から読解はできることは理解した。が、情報伝達の文章としては不親切ではある。これが「国語の読解問題ですよ」と出されたのならまだわかるが、化学の問題として出されたら「ふざけてんのか?」とは思うだろう。
分解してみる
わたしは常に「文章書けないコンプレックス」に悩んでいるので、どうすればわかりやすい文章が書けるのかは、関心がある。関心があるので、思いつきで分解してみることにした。分解してみれば、構成要素がわかる。構成要素が分かれば、再構成ができるはずなのだ。
情報量を整理してみる
- アミラーゼは、デンプンを分解するが、セルロースは分解できない。
- アミラーゼは、酵素である。
- デンプンは、グルコースがつながってできている。
- セルロースも、グルコースでできている。
- デンプンとセルロースは、形が違う。
ざっと五つの情報量が一文に含まれていることがわかる。
色分けしてみる
意味を理解していないと呪文に見えやすいカタカナ単語を色分けしてみたら、わかりやすくなるだろうか、と考えた。
アミラーゼという酵素はグルコースがつながってできたデンプンを分解するが、同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない。
セルロースは( )と形が違う。
単語が四つあることと、出てくる回数はすぐにわかる。しかし構文は変わらないので、読解しやすさにつながるかというと疑問だ。
主部と述部で色分けしてみる
アミラーゼという酵素はグルコースがつながってできたデンプンを分解するが、同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない。
セルロースは( )と形が違う。
うーん……微妙。
主部と述部以外を色分けしてみる
アミラーゼという酵素はグルコースがつながってできたデンプンを分解するが、同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない。
セルロースは( )と形が違う。
混乱の原因だった「同じグルコースからできていても、形が違うセルロース」が浮き上がり「デンプンと同じ」とわかりやすくなるので、個人的には一番読解しやすい気がする。
図にしてみる
グルコースでできている
→ 分解できる デンプン
アミラーゼ(酵素) ⇅ 形が違う
→ 分解できない セルロース
……自分でも何やってるのかよくわからなくなってきた。いや、基礎知識がある人はたぶんこういう図式がぱっと頭に浮かぶから、読解も有利なのではないかと思ったのだ。そして問題文ではなく説明文として考えたなら、文章で説明するよりは図や表の方がわかりやすいよね、よし試してみようと思ったのだ。それだけだ。(あくまで文章読解のための図です)
自分にとってわかりやすい文にしてみる
再構成してみる。とりあえず問題文であることは無視して、文章に含まれた情報量をわかりやすくするにはどうしたらいいかしら? と自分なりに直してみたのが以下。
その一。元の文章をあまり変えず、補足してみた。
アミラーゼという酵素は、グルコースがつながってできたデンプンを分解する。しかし、デンプンと同じようにグルコースからできていても、形がちがうセルロースは分解できない 。
その二。冗長かもしれないが、文を三つ(前提・主部・説明)に区切ってみた。
デンプンとセルロースは、グルコースがつながってできている。アミラーゼという酵素は、デンプンを分解することはできるが、セルロースを分解することはできない。なぜならば、同じようにグルコースでできていても、デンプンとセルロースは形がちがうからだ。
一文一意の法則である。複文怖い。
終わりに
ちなみにこの文章、「国語の読解問題ではない」と言われているのに、「読解力を試すための文なのだから、あえて読解しにくく作っているのだ」と擁護されているのを見て、わけがわからねーなと思った。
かくもコミュニケーション(読解)とは難儀である。