後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

買い物は一人で

 二月に入って、買おう買おうと思っていた漫画や本が微妙に溜まっている。なぜ溜まっているかというと、通販で買うか、本屋へ行って買うかを迷っているのである。

 本屋の存続を望むのなら、実店舗で購入すべきだというのはわかっている。しかし、まとめて買うとなるとある程度大きな本屋に行かねばならないし、その規模の本屋に行くには交通費もかかる。そして意志力の弱いわたしのことだから、行けば必ず何か甘いものを間食してしまうだろう。

 買い物というのは、判断と決断の連続で、ただでさえ意志力を消耗する。子どものころ家族で買い物に行くたびに、「同じビル内を移動しているだけなのに、買い物は妙に疲れる」というようなことを、親もよく語っていた。そう、買い物は疲れる。疲れると、よけいに甘いものが欲しくなる。

 家族の買い物が疲れるのは、判断や決断に頭を使わなければならないからだけではなく、他人の買い物に付き合うことになるので、更に疲れる。行動のペースを、他人の思考や判断に合わせる必要がある。しかも我が家には、気に入らないことがあるとすぐ不機嫌になるタイプの人間が二人もいた。一人はすぐに文句を言って怒りだす、もう一人は、何も言わずにむすっとしたままこちらを無視して、単独行動をはじめる。疲れないわけがない。

 その記憶と経験の反動もあってか、わたしは一人で買い物をするのが好きだ。一人でいると、あの不機嫌な人たちに付き合わなくていい、機嫌を伺わなくていいのだと、とても安心する。まあ、そこは家族のことだけでなく、学校での団体行動もそれ以上に悲惨な思い出が多いことが影響しているだろうけど。

 しかし、仲のよかった友人と一緒に行動するときは、ふつうに楽しかった。なのに、それでも他人と行動をすると、どうしても心が安まらない。――向こうは実は不快な思いをしているけれど、こちらに気を使って合わせてくれているだけなのではないかとか、いや、そんな心の小さな人ではない、付き合ってくれているのに本心じゃないと疑うなんて失礼なことだ。そんなことを気にしてしまうわたしは、疑り深くて嫌な奴だな――などと考えはじめて、気になってしまう。

 内向的な人間あるある。

 家へ帰って一人になると、更にどっと落ち込む。本当は嫌われているんじゃないか、無意識に失礼なことをしていたんじゃないかと悩みはじめると、楽しかった記憶すら霞んでいく。一人脳内反省会だ。

 しかし、そこで答え合わせをしてくれる当事者はいないから、正しい答えなんて出るはずもなく堂々巡りだ。それがどんなに不毛なことなのか何度もくり返して自覚しているにもかかわらず、後ろ向きな思考は制御できない。

 とはいえ、それもだいぶ昔の話なので今はもう少しは図太くなっているのではないかと思うけど、とくに誰かと行動する機会自体が、もうあまりないのだった。