後悔記

今のところ、宛てのないブログです。

新しい枕への期待と不安

 世の中色々騒がしいことが起こっているし、興味がないわけではないけれど、ここ数日お絵かきが楽しかったので、あまりそれらの話題に触れていない。そしてそれは、精神衛生的にも良いことだと思う。と、身内のテレビの受け売りを夕食時に聞き流しながら思った。

 メガネをしても、コンタクトを入れても、どうせ視界は悪い。メガネは度が合わなくなりつつあるし、コンタクトは異物感と乾きと曇りに悩まされる。もはやわたしは、そういう生命体になってしまったのだと、悲しい事実を受け入れるしかない。

 おかげで、買い換えたリビングの大型テレビも、霞むのである。ぼやけた視界をクリアにしてまで見たい内容もないし。

 ネットはネットで、「つい目にしてしまう」情報量が多すぎるから、あえて別のことをしなくてはならない。まあ、ソシャゲかお絵かきである。そっちに熱中していれば、これまた余計な話題にイライラしたり考え込んだりする時間は、多少は減らせる。

 皆無にはできない。それはそれで、情報から置いていかれるのも怖いし。ただ横目にチラチラと見るくらいでいい。がっぷり四つに組みたくない。そんな体力ないから。

 だいたいわたしの脳みそは、無駄に考えすぎるのだ。

 よいこともあった。ようやく枕を買い換える算段ができた。というか、母が通販のカタログを眺めて、夏用の寝具の話題を振ってきたのでいくつか選び、ついでに「高さ調整のできる枕」があるからどうか、と言われたのだ。

 わたしは最初は乗り気ではなかったが、ふと「試してみるか」という気になった。なにしろ、自作のタオル枕にしてけっこう日が経っている。寝付きはあきらかに前よりもよくなったけれど、ずっとそのままというわけにもいかない。タオル枕の欠点は、カバーの換えがないという点と、タオルを無理に何枚も引っ張りだして重ねているので、洗うのも手間がかかってしまうという点だ。それが解消されて、正式な枕に変更できるなら、その方が喜ばしい。

 あまり期待しすぎて、ぬか喜びに終わってしまうことがつらいから、わたしはいつも不幸や失敗を前提としてものを考えてしまう。小心で不幸な癖だ。その裏には、あわよくばという運任せの期待があるからだろう、という自己分析まで完成している。もうそうなると、何も自分で選択し決断するという気が失せてしまう。

 たかが枕だ。もうこうなったら、期待しときたい。でも合わなかったらどうしよう。換えのカバーも同時に注文してしまったから、使わないというわけにもいかないぞ。